2012年5月31日木曜日

メッセージを発する色とかたち

先週末、松本で開催されたクラフトフェアに行ってきました。今回で3回目だったのですが、年々規模が大きくなって大変活気付いている印象でした。松本はまちのスケール感(歩いて散策できる)がとても心地よく、いつもフェア以外の時もゆっくり訪れてみたいなと思っています。

裏道を歩いていくと、目を引く色彩がありました。

マンションと民家の間を流れる水路と転落防止?の塀
塀の背後(下)は水路になっていました。恐らく周辺の建物の建替えにより何度か姿を変えているのではないか、と推測します。鮮やかな赤いバケツは消化のサイン、更にその形態が付近に水があることを連想させ、すぐ手に取れる様がいざというときに備えよ、とメッセージを発しているようにも感じました。

これは全く個人的な問題ですが、私は学生の頃から殆どモノのフォルムというものに興味を頂くことが出来ませんでした(もちろん趣味や嗜好はありますが)。例えば消火器とカバーをデザインせよ、と言われたりするとものすごく困ります。『それはもっとうまい人がやってくれればいいなあ』と、学生の頃もそんな風に感じたことが何度もありました。

どこにでもありそうな住宅街にあるこのバケツとそのディスプレイというか、設置の様子を見たとき、強烈にそのことを思い出しました。用具と使用目的・実際の使い勝手と色彩が見事に一致していて、地元の人たちはいつもこの風景を眺めることによっていつも何となく水を汲む際のイメージなどが自然に(或いは無意識のうちに)刷り込まれ、いざという時の行動をも想起させるのではないか、と感じました。

とかく“きれいに”デザインされすぎることの弊害、を考えずにはいられません。最近地方での仕事が多いせいか、もっと本来の適度さやいざという時に役立ちつつ、景色にもなる素材・色彩のあり方など、モノの意味や目的を根底から丁寧に考えることの大切さを実感しています。

デザインが優れていることに越したことはありません。ただ、それもやはり場との関係性が整えられていることが必要なのだと思っています。

もうひとつ、おまけです。
これは誰かが意思をもって決断をした、景観に対する配慮の例ではないかと感じた建物。

背景の山並みに併せて、形態・色彩による分節化が図られている(と推測)
川沿いを歩いていくといくつかの中層建物が目に入ったのですが、写真中央にあるマンション、どう考えても背景の山の稜線と連続性が形成されています。恐らく歩行者の目線、中景・遠景に対し意匠的な配慮がなされているのではないか、と思いました(そうであって欲しい、という気持ちもあり…)。

こうした配慮で全ての問題が解決されるわけではもちろんありません。ですが、まちを歩いていて何がしかそのまちの特徴であったり、明確に言葉には表せない雰囲気であったり。そのまちに対する様々な人の思いに触れると、とてもあたたかな気持ちになります。

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自己紹介

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色彩計画家/環境色彩デザイン/いろでまちをつなぐ/MATECO代表/色彩の現象性/まちあるき/ART/武蔵野美術大学・静岡文化芸術大学非常勤講師/港区・山梨県・八王子市景観アドバイザー/10YRCLUB/箱好き/土のコレクション/舟越桂