2013年11月1日金曜日

解像度を合わせる、という調和の図り方について

実に久々のBlogです。
今年前半は様々なアウトプットに追われ、じっくり振り返ることが後回しとなっています。

去る10月5日(土)の大イベント、MATECOの十人素色を無事に開催することができ、こちらのまとめもまだまだ進行中ですが、少し自身のことに目を向ける余裕が戻って来ました。

最近のいくつかの出来事に触れながら、改めて調和とは何ぞや、ということを記しておきたいと思います。

以下の写真は最近開店したとある市の店舗です。
先に申し上げておきますが、ここに例として挙げますが、この店舗を色彩の観点から批判することが目的ではありません。あくまで、景観法ができた現在でもこうした状況が改善できないのはなぜか、更に店舗の利益を損なわずに(例えばCIカラーなどの使用を制限しない方法で)『周辺環境との調和』を図ることはできないものか、と考察してみた結果であり、今後も続く自身の研究のような位置づけです。

数キロ離れた場所からも外装色・店名が認識される外観

この一年程、解像度、という言葉が気になっています。身近な建築家が用いる場合もありますし、自身がプレゼンテーションの際に説明に用いたり、最も頻度が高いのはスタッフとのミーティングの際、『この段階ではこれくらいの解像度でまとめるべき』とか、『この資料だと解像度が足りない』という具合に、深度や強度を共有するための言語として用いることが多くあります。

周辺と解像度を合せる、ということが調和につながる、と定義してみる
解像度とは画像における画素の密度を示す数値の事です。数値が上がるほど密度が高まり、解像度の高い画像は拡大した際などにも荒れることなく拡大して印刷物や大画面への出力に用いることができます。逆に解像度を下げるということは例えばメールに画像を添付して送信する際など、『全体の印象を保持しながら軽いデータに落とす』際などに用います。

画像等を扱う場面で言えば、解像度の高低は使用目的に応じて使い分けること、がプロの仕事の基本であり、確認・出力・保存等、それぞれの目的にふさわしい解像度が設定されています(業種により色々な解釈があるものの)。

これを景観、に置き換えてみたとき。こうした眺望景観等は遠景といい、距離を置いた視点場からある程度の範囲を捉え群となった個を見ています。色の見え方は距離を置くほど網膜に反射光が届くまでに光が拡散してしまいますから、明度・彩度共に徐々に下がって(鈍く)なっていきます。かたちの見え方も同様、輪郭は甘くなりフォルムも距離の変化に応じて曖昧になっていきます。

視点場から見る景観は遠景・近景に限らず、距離感と共にあります。遠くの山々の緑の葉一枚のかたちや色は同じ植物であっても足元にあるものとは見え方が違いますし、手前から奥に向かって物体が徐々に小さくなっていくという遠近感は『奥行や距離の違いを認識する手がかり』として眺望景観の保全には重要な要素です。

ということを言うと、『看板は目立たないと客が来ない、商売を妨害するのか』と言われそうですが。ここまで、看板を出すなとも使いたい色を使ってはいけない、とは一言も言っていませんので念のため。

二枚目の写真のように、例えば解像度の『度合い』を周辺と合せてみてはどうか、ということを考えています。距離の変化に応じ、見え方が拡散していくようなイメージです。原色の赤や黄であっても、面積が周辺のスケールから逸脱していなければ、距離を置いた時には周辺と同じように曖昧になってくれる場合は多くあります。

…まあ遠景からも何が何でも『店舗名と存在を主張したい』という意志に対しては通じない手法ですが。

実ははこの事例、どうすれば景観の阻害要因(この例で行くとスケール感を逸脱して目立つことに対する懸念)とならずに済むか、色々とアドヴァイスをしてきた案件です。色の使用面積を抑える、施設自体の分節化を図る、看板をパラペット(建物の上端)より高くしない、文字の大きさは建物高さの1/5程度でも十分走行する車両から認識できる…等々。

法的な整備が整っていない段階で協議をしなければならないという状況。基準がある訳ではありませんから、何色を使おうがどのような大きさの看板を付けようが、自由です。結果、こうしたものが次々と表れることに対し、互いの立場を尊重することは本当に不可能なのか、という問いは専門家である自身が解決すべき課題です。腹を立てても何も解決しませんから、己の無力を恥じた上で、法による規制の次、を考えて行かなくてはなりません。

(色彩)基準は不要、という意見は変わらず多くあります。誰だって自由に、好きなものを創造する権利があり、新しいモノの出現が世界を変えることもある(ごく稀に)という認識は持っていますが、最終的には『この姿はこの場にふさわしいかどうか』という思いがのしかかります。

この現状を目にした数日後、小布施を尋ねました。

岩松院のそばにある、ゆうすげ花壇
小布施では修景、という意識が広く住民に浸透しているそうです。ちょっと長くなってきたので、詳細は11月17日(日)に開催する素材色彩研究会MATECOの連続セミナー及びそこで配布する資料に任せたいと思いますが(…我ながらうまいつなぎだ!)、景色を眺める、ゆっくりとまちを歩く、ということの楽しさや喜びをしみじみと感じさせてくれるまちでした。

自身は『素材と色彩』という、景観の解像度をぐーっと上げて行った時に目に触れるものを特に大切にしていますが、高い解像度をなめらかに下げていく・周辺と合わせることで整う関係性、を解いて行きたいと考えています。

マテリアルと都市・まち、というスケールを行き来する手法を構築していきたいものです

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自己紹介

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色彩計画家/環境色彩デザイン/いろでまちをつなぐ/MATECO代表/色彩の現象性/まちあるき/ART/武蔵野美術大学・静岡文化芸術大学非常勤講師/港区・山梨県・八王子市景観アドバイザー/10YRCLUB/箱好き/土のコレクション/舟越桂