2014年10月6日月曜日

景観配慮色が担う「地を整える」という役割

自身の身の回りには随分と「景観アレルギー」の人が多く、また徐々に増えてきているような気がしています(それは被害妄想では、とスタッフには言われますがw)。

景観に配慮する、というと決まって言われるのが「配慮すべき(価値のある)景観などここには存在しない」というひとことです。その発言の裏には、様々な災害から復興を繰り返してきた東京(・日本)において、文脈を継承し育んでいくという意識が薄れやすいこと、またその行為に根拠を見出すこと自体が大変難しいことが挙げられ、どのまちの歴史を振り返ってもそうした文脈の分断は明らかである、という論理があるのだと思います。

一方、公共施設・設備の色については、2004年(平成16年)に策定された「景観に配慮した防護柵等の整備ガイドライン」の発行により、「環境の中で主張する必要のない色」が統合・整理され、山間部のみならず都市部でも大分道路景観がすっきりとしてきた、と実感することが多くあります。

例えば→設備や橋の色の判断基準について

しかしながら統合・整理=均質・個性が無い、という意見も多いですし、運用する側の意見としては「景観配慮色にしておけば問題ない(文句は言われない)だろう」という声も頻繁に聞かれます。(ある事象に対する反対の声程、大きく聞こえるものです)

いずれも間違った内容ではありませんが(確かにそういう事例や経験をされている方も多いので)短絡的というか、極論に行きすぎだな、という感じがしています。
自身としてはこの10年で「景観配慮色」が「地の部分を整えてきた」ことに一定の評価をすべきだと思いますし、そのおかけで他のもの(まちなみ、植栽、個々の建築物)が際立つようになってきた例も数多く存在すると思っています。

自然の緑よりも鮮やかな人工物(防護柵)。
色でここまで過剰に目立たせなくとも、機能を果たす工夫は沢山あります。

防護柵の色単体の良し悪しではなく、
周辺との関係性をどう見るかが課題です。

公共空間としてより多くの人に好感を持って受け入れられるように、という価値のつくり方があっても良いのではないか、と考えています。

年明け早々、土木学会のセミナーで下図の上段にある図が示されました。空間を認知する順番を模式的に表したものです。多様な意見がある、ということ以前に、例えば山や湖・満開のサクラを見たときには多くの人がパッと見て「心地よい」等と判断することができるでしょう(※あくまで、上の階層との比較論です)。

そうした誰もが共有の認識を持ちやすい要素に比べ、歴史的な価値のあるまちなみや遺産、新しく開発される街区等については、先の自然よりも少し経験や学習に基づく判断の基準が上がるように思います。

直近の例に置き換えると、新国立競技場に関する議論は景観としての価値が共有しにくい(最も難しい)例の一つに挙げられると思います。新国立競技場に「景観配慮色を採用すれば問題ない」と考えることが的外れであることは下図の下段で解くことができると考えています。

最近、行政の研修等に使用している資料。
ガイドラインが網羅すべき・できる部分を、明確にできればと考えました。
景観に配慮した防護柵等の整備ガイドラインは策定・施行から10年。ベーシックな「地」の色としての配慮色の存在が浸透し、環境が整ってきたゆえに「起こるべくして起きる議論」もありますし、創造性という名のもとにガイドラインからはみ出るもの、時代の要請・社会の成熟によって超えていくものが出現して当然だと思います。

それでも、自身は「平均的な水準の向上」あるいは「誰かが関係性を無視して好き嫌いで決めるくらいなら他の要素のことを考えて地にしておく」ことは決してまちの均質化・無個性化でも、担当者の思考停止とも言い切れないのでは、と考えます。

地であるべきものに、地であれということ。それは他の要素の可変や更新の可能性も含め、次代へ検証をつなぎ、判断を担保することに繋がるのではないでしょうか。

…とはいえ、近年、住宅街では毛虫が困るからサクラは伐採して欲しいという住民からの要望が出るなど、一概に自然・緑は誰もが心地よいと言い難い時代になりつつあります。価値や美しさといったものを行政が押し付けるな、という意見も多く(…それもそうか、と思う部分も多々)、環境における色彩の構造については、改めて行けるところまでは理詰めで解く必要があると考えています。


以下、参考

景観に配慮した防護柵等の整備ガイドライン(国土交通省HP)




2014年8月21日木曜日

まちが白い、あるいはカラフルな理由について

気になるまちなみがあると、そのまちが「そういう景色になった理由」をあれこれ調べています。

例えば南米のチリの斜面都市・バルパライソと海辺のまち、チエロ島の木造住宅群は共にとてもカラフルなまちなみです。いずれも斜面に沿って、びっしりと建物が建ち並んでいます。その並んでいる状態が、既にある秩序を形成しているようにも感じられます。

バルパライソには19世紀頃の建物も多く残されており、カラフルなまちなみとして多くの観光客が訪れるまちです。一体なぜこのように彩色が施されているのかというと、その始まりは港に積まれていたコンテナの鉄板を使っていたから、という説があるそうです。

雨の多い冬時期は北風が吹きつけ、日干し煉瓦の壁は雨水を吸い込んでしまいます。そこでコンテナの鉄板を壁に貼り付け、横殴りの雨から家を守ったらしいのです。その名残で、新しい家をつくるときもカラフルな塗装色が使われている、と推測することができそうです。
外壁を保護するために使ったコンテナの鉄板の色がもともとカラフルさを持っていたことがまちの景色をつくってきたと考えると、これも地域(に根付いた)の素材色の一つ、と言えるのではないでしょうか。

また世界遺産に登録されているブラジルのサルヴァドール。このまちも鮮やかでカラフルな色使いが印象的ですが、ここはかつて住民の識字率が低かった時代、表札や町名の文字表示の代わりに「色」が使われたという説があります。現代ではサインカラー、という表示に用いる色がありますが、建物の外観・まちなみのカラーシステムや配色がまさにサインとして使用されていたという例なのだと感じました。

http://tokidokicameraman.blog19.fc2.com/blog-entry-2133.html

色々調べてみて、歴史あるまちであれば当然のことだと思いますが「意図的にこういう色にしよう」と思ってつくられたまちではないことがわかってきます。個人的にこのことにとても興味があって、いつかそういう旅をしてみたい、と事あるごとに妄想しています。
(…またの名を現実逃避、と言いますが)

西洋の美しいまちの例として、白も多くの人が思い浮べる色なのではないでしょうか。
ホワイト・シティという呼び名があることで知られるイタリアのオストゥーニというまちがあります。まちの起源は古く、中世初期(10世紀ごろ)に遡るそうです。

このまちが白いことにも、明確な理由があるようです。「白くしよう」という意図によりつくられたものではないことが、以下の解説からわかると思います。

『●都市構造
オストゥーニは壮観丘の街です。 中世のコアでは - 最高の丘の先に - 家は全体の丘をカバーする、巨大な関節構造を形成し、壁で壁を構築されています。 構造を保持するには、通りを頻繁にアーチを建設している - このように魅力的な街並みを作る。
壮大な特徴は、構造体の全面をカバーする、白い石灰である。 これは、夏の太陽の下で見事な光景を作成し、このオストゥーニのためには、 チッタビアンカとしても知られている-ホワイト・シティ。
この白色は中世以来ここで使用したり、それ以前の、いくつかの実用的な嗜好を持ってきた。 まず - 白い色は暖かさの大部分を屈折さ - それは、建物内の施設は、冷静さを保つのに役立ちます。 第二に - ライムepydemicsの時代にeffctive消毒されています。 そして第三(とメインでもよい) - ライムは、街の周辺には容易に利用可能である。』

http://www.wondermondo.com/Countries/E/IT/Apulia/Ostuni.htm より自動翻訳を引用

ちょっと整理してみますと、
①反射率の高い白い外壁は、強い日差しを遮り、室内の温度の上昇を防いだ
②疫病がはやった時代、(水と混合するとアルカリ性になるという石灰の性質が)菌の蔓延を防いだ
③(これが第一の理由と言っても良いが)石灰はまちの周辺で容易に入手できた

ということになるでしょうか。
身近にあった汎用性・機能性の高い原料で外壁を仕上げた結果、長い時を経て「夏の太陽に映える白いまち」という評価がついた、と考えることができます。

西洋漆喰については左官屋さんのブログに詳しい記述がありました。

左官屋さんの喫煙所(左官屋ブログ)

水で硬化し、長い年月をかけて更に硬化し続けて行くという特性。
残念ながらオストゥーニを訪問したことはありませんが、様々な記述を見る限り、現在でも白いまちなみが保たれていることから、耐久性に優れた材料であることがわかるのではないでしょうか。

原料そのものの色がまちなみをつくってきた…。これはどの国・地域でも歴史を辿ると答えはそこへ行きつきます。そして様々な彩色が施されたまちなみには、そういう色使いがなされた「要因」があることも、いくつかの事例から見えてきています。

フィレンツェの街並み。まちなかにある一般の建物は(群として見た時に)とてもカラフル。
対照的にドゥオモ(大聖堂)は白基調(大理石)。特別な建物に象徴的に白色が用いられている、ということも都市構造の1ひとつと言えるのではないでしょうか。
こうしたまちなみの表層の色だけを真似ても、決して同じような美しさを持つまちにはならないのでは、というのが自身の抱えているテーマの一つです。オストゥーニの白いまちの例でいえば、気候・風土(=文化)が日本と異なる、という点も加味すると、より明確に論じることができると思います。

引き続きそうしたデータも活用しながら「では、日本のまちなみにはどのような色がふさわしいのか?」という問いについて、「白ではない」とか「とにかくアースカラーにすべし」などの断定ではなく、あくまでも環境や対象との関係性の中でグラデ―ショナルに解いていきたいと考えています。

2014年8月11日月曜日

自然界の色彩構造10の原理(仮)

先月、静岡県で実施された平成26年度第1回景観講習会の講師を務めたのですが、その際のアンケートが先日届き、参加者の層や感想などを読んでみて、改めて公共性の高い要素の色を選ぶ・考えるということの根拠が根付いていないのだなと感じました。
それは決して行政の方や設計に携われる方・各種のコンサルタント…が不勉強だ、ということではなく、やはりどう考えても納得の行くような論理、機能性や安全性を超える根拠を見出すことが出来ないという状況にあるのだと思います。

自身は長年、周辺環境が持つ色彩が(善しに付け悪しきにつけ)その拠り所となることを体験により理解していますが、これはいくら数値で示してもその環境を見ない、あるいは何らかの敬意を払おうとしない方には通じない理論で、もっとごく一般的な経験や体験の共有を言語化しなければ、と長く思考錯誤をしています。

先日の講習会では直近、このBlogに掲載した鮮やかな色の使い方を後半の大きなテーマとして挙げました。力を入れて話をしたことが伝わったらしく、アンケートにも
「動く色と動かない色のことは参考になった」
「自然の色の変化の話はとても新鮮で、興味深かった」などの意見が多数書かれていました。
…と、ちょっと伝わったからと言って、それに気をよくしている訳ではありませんので念のため。行政の方々には「実践して頂く」という次のステップがあり、そこに向けても具体の策を提示して行かなくてはなりません。

地表近くにある鮮やかな色
 これがその次の一歩になるかな、と考えています。
「自然界の色彩構造10の原理(仮)」です。本当は5原則くらいの方が覚えやすくて良さそうですが、今のところ10になっています。これは全て20数年の経験によるものなので、実感もありますし様々な場面で実証も行って来ました。

「色彩の原理」ではなく、「色彩構造の原理」です。自然の色は美しいからそれをそのまま真似する・写し取るということではありません。自然界において、色が美しく・その変化が印象的に見えている「仕組み」に関わる構造のことを解いています。実際、人工物に展開する時は対象の規模や用途、そして場所の特性などとのすり合わせが必要ですし、だから自然素材を使うべき、という単純な話でもありません。

経験を共有しやすい自然界の色彩構造を理解し、それをもとに現代における「色と色、あるいは素材と色」の関係性を再構築すべし、というものです。

自然界の色彩構造、あるいは自然物の持つ色の特性、と言い換えることもできます。
…と、こういう話をすると「日本には純粋な自然景観はない」とか、「どこそこの森の樹木は植林したものだ」「庭園は自然じゃない」とか言い出す専門家もいらしてややこしいのですが。
ここではごく単純に「人が制作・製造したもの以外の生物や時間がつくる自然現象」というように捉えて頂ければと思います。

それは間違っているとか、色々な指摘もあるとは思いますが、自身の分野においてはこの「色彩構造の原理」に当てはめてみると解けることが数多くあるように感じています。2014年中にもう少し練り上げ、より伝わりやすい(=使える)方法論として、確立して行きたいと考えています。

①自然界の地となる色は、動かない・大きな面積を持つ
  →土や砂、岩等。

②自然界の地となる色は、暖色系の低彩度色が中心である
  →同上。

③自然界の地となる動かない色は、天候の変化によっては明度が変化する
  →雨を含むと地の色は、明度が下がる(図の色よりもその変化の差違が顕著)。

④大きな面積を持つ地の色は、単色に見えても近づくと粒子であることがわかる場合が多い
  →土や砂、岩等は小さな単位の集積である。

⑤自然界の図となる色は、いのちある・小さなものが持つ
  →色鮮やかな草花、昆虫。

⑥自然界の図となる色は、地表近くにある
  →同上。

⑦空や海・河等の色は、定位しない変化の大きい色なので、動く色に分類される
  →面色(film color)を物体色に置き換えても、同じ色には見えない。

⑧地となる色の一つ、木(材)の色は、時間の経過と共に彩度が下がり、樹種によっては色相が赤みから黄赤みに変化していく
  →いのちと共に色は失われていく(そして大地へ還る)。

⑨自然物の集積は距離を置くほど明度・彩度が下がる。
  →例えば樹木、葉色が明るくても離れて森を見ると暗い。重なりや隙間の陰が加味されるため。

⑩自然物は時間の変化を受け入れる
  →自然物は時間に逆らわない、時間が染み込む。

小布施で見かけたザクロの木。緑と補色の関係にある朱赤、小さくとも印象的な色でした。
いかがでしょうか。
まずは箇条書きで、シンプルに表記してみました。ここから、色々発想が拡がるようであれば、しめたものです。今後、それぞれの解説を丁寧に加えて行きます。 

2014年7月15日火曜日

建築・土木設計を学ぶ学生のための色彩学⑪-鮮やかな色の使い方

普段気になった色の見え方を撮りためていますが、最近改めて環境色彩が信用している「鮮やかな色の使い方」は「動くか、動かないか」という判断基準の中に光明が読み取れると感じています。

面積、材質、仕上、形態、そして場との関係性。検証のためのフィルターは幾重にも重なり、経験を重ねるほどに複雑になっていく部分もあります。

この「建築・土木設計を学ぶ学生のための色彩学」では、出来るだけ小難しいことをすっ飛ばして(経験に基づくあれこれの方法論は宿ってはいますが)、読んだ方が「ふーん試してみようかなあ」という、色を知るため・興味を持つきっかけになればと思って書いています。なので今回も「鮮やかな色は動くものに」という1つの法則を掲げ、それがいかに場に彩りを与え、かつさほど違和感がないものであるかということを示してみたいと思います。

色はこうして人の目を誘うのだな、と感じます。
写真がうまく撮れませんでしたが…。思わずやきそばが食べたくなる赤。富岡にて。
自然景観の中の寒色系は定位しない面色(film color)。人工物の色の面積がこれくらいでも、十分瑞々しさがあります。
動く・動かない、という基準は以前に「誘目性のヒエラルキー」という項目でまとめています。自然界の色彩構造を手本にし、「鮮やかな色は動く小さなもの(命あるもの)が持ち、不動の大面積を占める色(土や石、樹木の幹など)がそれらの変化を支えている」という色の見え方を構造化したものです。

自然の色の美しさに限らず、色は単体の良し悪しではなく「どう見えているか」という関係性の問題です。鮮やかな花が印象的に見えるとき、背景や周囲との「対比の度合い」で見え方が決まります。もちろん、距離を置けば光の加減や湿度等も影響してきます。

この法則が当てはまるな、と思う例をいくつか挙げてみました。「全体の中で小さな・動くものが(過剰になりすぎずに)人目を誘う」ということが言えるのではないかと、これはかなり自信を持ってそう考えています。 
こういう場合は、何色でも違和感なく受け入れられそうな気がしませんか?

「命ある・動くものが鮮やかな色を持つ」という自然界の構造は、風景を眺めると良く理解できます。
建築・土木設計にこれをどう当てはめるのか?と思ったそこのあなた。さすがです。これは言い換えると「動かない・大きな面積を持つものには鮮やかな色は向かない」という法則にもなります。

もちろんその可能性(大きな面積に鮮やかな色を用いる)がない、とは言いません。ところが建築家はすぐ「海外だともっと自由で、様々な色がある」と奇抜な、あるいは文化の異なる国の例を次々と挙げてきます。「日本では景観法の規制によって自由に色が使えない」とも

それもある一面では、正しいことだと思います。
でも、建築外装における鮮やかな色の出現の可能性や質は本当にピンキリで、長年キリの部分(大型家電量販店やロードサイド沿いの飲食店等)が地域の個性や本来の景色を奪ってきた、という側面もあります。

私は地域の特性に即したある程度の制御は必要だと考えています。鮮やかな色の見え方が自然界と同様、背景や周辺との関係性で「決まる」とすると、まずは周囲が整うこと、も今後の可能性を拡げる方法になり得るかも知れません。

でもまあ、とりあえず色を使ってみたいと思ったら「小さな・動くものに」という法則。駄目だ…と思ったら動かせば良いのですから。一度は試してみる価値があると思っています。

動くもの、小さな部位。色の「使いどころ」を設計の中で探していくだけでも、とても良い訓練になると思います。私達(CLIMAT)もそうした検証を重ねて、最終的に「ないな…」ということに行きつくことが多々、あるのですから。


2014年7月1日火曜日

アーティストがつくりだす空間における視覚的な楽しみ

去る6月27日(金)、本日7月1日(火)にリニューアルオープンした港区立麻布図書館を内覧させて頂く機会を得た。以前から交流のあるアーティストの流麻二果氏がアートワークを手掛けたとのことで、案内を頂いたのだ。

最上階の作品。油彩特有の艶が作品を生き生きとさせている。
アーティストの「なま」の作品を公共施設に設置する、ということに対する関係者の多大な労力や尽力は想像に難くなく、特に幼児や児童が出入りする図書館ともなれば、管理者側の懸念や条件等、一つ一つクリアするには大変な苦労があったことと推測する。とにかくそうした高いハードルを越え、アーティストの作品が空間と共に出現したことに敬意を表すると共に、長く多くの人に愛着を持って親しまれる環境となることに大きな期待を感じている。

流氏の活動の一つに「一時画伯」という非営利団体での取り組みがある。一時画伯は第一線で活躍するアーティストが、美術に触れることの少ない人々、とりわけ子供たちにアートを届けることを目的とした団体である。

あらゆるモノの成り立ちが見えにくくなっている昨今、「なま」の画が持つ作家の筆圧、画材のきめ細かなテクスチャー、光沢の有無など、圧倒的なリアルに目が触れたとき、私たちのこころはかすかに・何かに揺さぶられる。それは決して激しい感情ではないが、最近「なま」の作品を見ていると、何よりも私達の目がそうした微細な変化を求めているのではないかと感じることがある。

緩やかなカーブを描く壁面いっぱいに展開されたエントランスホールの作品。「重なる」
図書館内の色彩空間はメインとなる一階エントランスホールの壁画の他、大きく3つの要素から成り立っている。
書庫や閲覧テーブル・椅子のある各階は本の種類ごとに分類され、下階から上階へ行くに従い大人向けの内容となっている。色調の変化もそれに連動し、春(こども)~冬(壮年期)へと移り変わっていく。この内装の一部に埋め込まれた油彩と壁面のアクセントカラーとの調和が、最も印象的に空間を支配している。

次に目に留まるのは、エレベーターホール周り。扉とその周囲の壁がフロアごとのテーマカラーで彩られ、操作ボタン周りのサイン表示とも色が連動している。壁紙やシート等の人工的な色合いが大胆に用いられ、表示と連動することにより識別性を高めている。様々な世代が利用する公共施設ならではのサインのわかり易さという点では、情報は最小限にまとめられ、色の印象が補助的な役割を担っている。

3つめは各階をつなぐ階段室周り。手摺壁の内側のパネル部分に、半透明のカッティングシートが施され、動きに合せて様々な重なりを見せている。色そのものではなく透ける・重なるという現象が設えられた空間は、例えば内覧会時は雨模様だったが、そうした天候の変化、あるいは季節の変化を写し取ったような繊細で奥深い変化がつくり出されている。

階段手摺壁の色の重なり
これら各所に展開された色の重なりは、数少ない色を組み合わせることにより様々な事象を表していたかつての日本文化、重ねの色目がテーマとなっている。人の動きに合わせ、見る位置、眺める角度によって様々な組み合わせが目に入るが、都度発見があるような奥行きのある構成が考え抜かれている。

各所の空間構成にはテーマに添ったカラーが展開され、空間毎のまとまりや部材の形状に合わせた色遣いは、色彩設計の王道とも言える手法であり、見事な色彩調和が成されている。その中でもアーティストである流氏の力量・感性が最も発揮されているのは、やや重厚さのある氏の油彩とそれを取り巻く階ごとのテーマカラーのバランスではないかと感じた。色を使っていながら、それらは環境の地としても機能している。

4階の作品。柱を取り囲む、景色のようなアート。
色を組み合わせるということの効果や妙味はここにあると思うのだが、空間を支配する・支配されるというギリギリのところが、各階のフロア構成に合せてとてもうまく取りまとめてられている。
中でも4階の色彩調和は、木製の家具の色とのなじみもあって、強い対比でありながらとても心地の良い温かみのある空間となっており、空間に色を使う際の良い手本となる環境なのではないかと感じた。

各階の油彩とクロス・カーペットの組み合わせ、エレベーターホール周りのクロスやシート、サインのアクリル等との組み合わせ、階段室のスチール手摺と半透明のシートとの組み合わせ等、マテリアル・色彩共に実に要素が多く、各所で様々な色の対比と同化が繰り返されている。
正直、個人の感想としては個々の空間(場)での色彩調和には全く違和感はないものの、この3つのバランスが完璧なものだとは言い難い。全体のコンセプトも筋が通っているが、そのコンセプトに忠実であろうとするあまり、空間(場)とのバランスが危うくなっている箇所も見られた。

一方、所々に様々な要素が展開されていることで、それぞれが競い合うように色の効果を発揮していることには大きな可能性を感じた。例えば抽象化のためにあらゆる要素を排除し、白くしていくことと比較すると、その方がはるかに容易く感じるほどである(もちろん実際にはすべてを白くすることも難儀ではあるが。)

最後に話を伺った建築設計者も「色を使うことは本当に難しい」と言っておられた。抽象化すること・色を使いこなすこと、どちらも共に難しいのであれば、こうして色を扱うプロであるアーティストの力を借りて、困難な空間構成にチャレンジすることに賭けてみる価値があるのではないだろうか。

本プロジェクトでは空間がもたらす視覚的な楽しみが、アーティストと建築家の協働によって具現化されている。

2014年6月10日火曜日

都市の新しい要素-シェア・サイクルの色彩

5月以降、急な海外出張が続いています。
様々な国や地域での色彩調査はどんなに疲れていてももう少し歩いてみよう、と思わせてくれる、探求心の源でもあります。

近年気になっているのはまちなかのシェア・サイクル。都市の新しい『色の要素』あり、見かける度についカメラを向けてしまいます。

May 2014,  ジャカルタ・コタ駅前の広場
ジャカルタは昨年初めて訪れ、強い光に照らされる色鮮やかなまちなみに衝撃を受けました。上の写真は5月に再訪し、前回時間切れだったコタ地区の周辺を散策した時のもの。…これはシェアというか、観光客向けの貸し自転車ですが。

こういう時、例え借りなくとも『さて何色にしようかな』と必ず考えてしまいます。
コタ駅は1870年、現在歴史博物館となっている旧市庁舎は1627年にオランダ人によって建設されたそうです。真っ白な外壁とグリーンの建具は、オランダ統治時代の名残を感じさせます。

May 2014,  ジャカルタ・歴史博物館(旧市庁舎)
ベッタリと色を塗られた麦わら帽子、ちょっと風通しは悪そうですが…。こうして多色が並んでいて、選べるという状況が何とも楽しい、と感じました。
駅の白い外壁を背に、カラフルな色が観光地らしい賑わいをつくり出しています。

July 2013,  浙江省温州市
中国では電動のシェアサイクルをよく見かけるようになりました。中国は都市部でも郊外でも大気汚染の問題など色々と見聞きしていますが、こうした新しい要素を次々に取り入れて行く対応の速さにはいつも感心してしまいます。こちらは鮮やかな橙色。遠くからも良く目立っていました。都市の中で動くものが色を持つ、という環境色彩の定理から考えると、これも1つの選択肢と言えます。

July 2012,  金沢
これは金沢市内で見かけたもの。穏やかなライトベージュのボディに、クリーンなイメージを持つイエローグリーンで『まちのり』のロゴが表示されています。統一感のあるデザインと上品な配色で観光客に向けて存在感をアピールしつつ、風情のあるまちなみにも馴染む配色だと思います。

May 2013,  パリ市内  ©Aya Yoda
ラストはパリ。昨年クリマのスタッフが撮ってきた写真を借りました。これまた渋いウォーム・グレイ。少し黄味のある灰色、石畳の色をそのまま掬ったような色合いです。パリ市内では電気自動車の充電スタンドも増えつつあったとのこと、それらも統一的に低彩度色でまとめられてたそうです。

May 2013,  パリ市内  ©Aya Yoda
低彩度だから目立たないかというと、そうでもないのが不思議です。
群としてのまとまりが生まれていること、そして何より背景との関係性により存在感が際立っています。パリの場合、一枚目の写真は背後に沢山の色があります。対比により、手前にある自転車の色が引き立って見える効果が表れている、と言えるでしょう。

一方下の写真は、背後の建物はガラス貼り、周辺一帯もニュートラルで都市的な雰囲気です。まちの色が整った中で見ると、穏やかな低彩度色でも十分な視認性を持つ、ということが言えると思います。

こうした新しい要素の色を決める(考える)際、様々な選定、決定の要因があることと思います。目立つことで積極的な利用を促す、派手な色を用いることで盗難を防ぐ、まちのシンボルカラーを展開する…。

こうした要素を見比べていると、つくづく色はサインだなと感じます。都市の中で色はいつも何らかのメッセージを発しています。旅人の視点としては、カラフルなものもシックなものも、どちらにもそれぞれ魅力があります。自由に選べるという楽しさ・イベント性。あくまで機能に徹し、歴史あるまちなみと同じように環境の中で地となる色…。

電動シェア・サイクルは時代の要請によって出現してきた都市の新しい機能です。目的に併せ、あるいは地域の文化に併せ色を展開することが出来るという状況はとても贅沢なことだな、としみじみ考えています。

状況が様々にあることの良さ。パリには恐らく他にも『選ぶのが楽しくなる色』がまちに溢れていて、新しい要素に頼らずとも済むのかも知れません。
単体で考えない、この視点も重要なのだと感じます。

2014年5月12日月曜日

建築・土木設計を学ぶ学生のための色彩学⑩-色彩の感情効果と調和の原理について

最近◯の原理、ということについてあれこれ考えています。
色の場合、色が見える原理、発色の原理、調和の原理…等、いくつか挙げられますが、今回は建築・土木の色彩計画における配色及び調和の原理について、まとめてみたいと思います。

調和の原理、色彩学においてはジャッド(アメリカの色彩学者・1900-1972)の4つの色彩調和論が有名です。改めて記すとごく当たり前のことのように思えますが、1800年代から議論されてきた様々な色彩論・調和論を要約したという点、いつの時代においても調和ある(美しい)色使いに対する論理が求められてきた証拠と言えるのではないかと思います。

ジャッドが示した調和の原理は以下の通りです。(出典:日本色研事業株式会社HPより)
1)秩序の原理:規則的に選ばれた色同士は調和する
 2)なじみの原理:いつも見慣れている色の配列は調和している
 3)類似性の原理(共通性の原理):色の感じに何らかの共通性がある色同士は調和する
 4)明瞭性の原理:明度や色相などの差が大きくて明瞭な配色は調和しやすい

心理学に詳しい方はすぐにお気づきのことと思いますが、それぞれの項目はゲシュタルト心理学に登場する知覚の法則(類似の要因・近接の要因・閉合の要因・良い連続の要因、等)ととても類似しています。

調和に原理があるということを上記のように示した上で、建築の色彩計画について考えてみたいと思います。
下の図は色彩が建築にどのような影響を与えるか、ということを模式的に示したものです。(※ここでは『色彩を計画する』ということの説明なので、質感等は一旦排除しています。)

色彩の感情効果と配色(色彩計画)がもたらす効果
色を検討する・選定する上で多くの方が悩まれるのは、色が様々なイメージ(感情効果)を持っているという点なのではないかと感じることが多くあります。19801990年代にはそうした色の持つイメージや感情に与える影響が過剰に尊重され、規模や用途にそぐわない色が数多く出現したことがありました。

色彩には実に様々な固有の感情効果があります。微細に研究をしていくと、国や年代による差違も生じるものの、概ねの印象・要素の一つとしてその効果を把握し、検証や選定の『きっかけ』とすることは、一つの原理として成り立たせることが出来るのではないか、と考えています。

配色による色のニュアンスの変化
上図の左には白と黒~明るい灰を並べました。それぞれの色は固有の感情効果を持っており、分類して行くと例えば白は軽く黒は重い(※あくまで色として考えた場合。物性として重い白、もあり得ると思います。)、あるいは明るい灰は弱いなど、人の感情に与える効果があります。

それはあくまでも『単色の持つ効果』であり、2色以上の配色になると、その配色による対比(コントラストの強弱)により、感情効果は増幅あるいは減衰します。

建築の色彩計画においては、更に社会性や風土・地域性等を読み取り、対象にふさわしい尺度を適用することが必要です。上図の左側にその尺度の考え方を示しました。

私達が生活する環境において、単色が視界を占領する状況というのは滅多にありません。1色を見ているつもりでも、周囲や背景にはかならず別の色が存在し、見ている対象物に何らかの影響を与えています。一つの建築物の外装を単色で統一する、という状況の場合でも、周囲の色の影響を受けないわけにはいかず、ここで(配色)調和の原理を当てはめて考えてみることは、結果的には『どのように差違を生み出すか』ということに繋がると考えています。

…話を戻して、色彩計画に2色以上を用いる、ということを前提に考えてみます。
上の図の右側に『配色する』ということのイメージを示しました。白は変えずに、組み合わせるもう1色を黒から明るい灰色とし、模式的に分節化を図っています。

単色で見た場合、あるいは他の色と並置しただけでは判断しにくい『色のニュアンスの変化』が見て取れるのではないでしょうか。よく『白に様々な階調がある』とは言われますし、あるいは『アーキテクトホワイト』と呼ばれる純度の高い白について等、建築界ではまだまだ色は『単色としての特性』の判断・評価に留まっているのではないか、と感じることが多くあります。

建築の色彩計画において日頃からもっと様々な可能性があるのでは、と感じる部分は、『組み合わせが生み出す様々な効果』を『場(や地域)、空間の特性に併せて積極的に展開してみる』ということです。

一般に語られる色彩調和の理論(例えば3色調和・4色調和等)をそのまま建築や土木工作物に展開するには無理があります。色彩計画の対象となる建築物や工作物、あるいはその集合は、それ自体が一つの環境を形成しうるものであり、既に様々な他の要素との関係性の中で調和を考えざるを得ないためです。


環境における色彩調和には、色彩における調和の原理を踏まえた上で、ふさわしい尺度を体感によって身に付けることが重要なのではないか、と考えています。

2014年4月1日火曜日

カラフルな社会構築、を目指す建築家について

先日、はじめて建築のワークショップに参加して来ました。ツバメアーキテクツの企画・運営による賃貸共同住宅のためのワークショップです。
その模様がウエブサイトに掲載されていますので、ご興味のある方はこちらからどうぞ。

“建築家集団ツバメアーキテクツ”(ウエブサイトの紹介にそう書かれています)の山道さんはカラフルな社会構築、をテーマに活動されている方です。私は最初、この『カラフル』ということばを建築家がここまでポジティブに使う、ということにとても衝撃を受けました。今思うと嫉妬に近い感情だったかも知れません。

自身が向き合う色の世界は、混乱や文脈を乱す要因として、あるいは業務の中では『調整』の対象であったりします。色彩が奏でる楽しさや豊かさに誰よりも魅力を感じ、まちの色と向き合ってきた自身が、いつの間にかカラフルさを否定的な意味に捉えてしまっていたことに気付かされました。

山道さんのいう『カラフル』は、単に物理的なカラフルさを提唱しているわけではありませんが、結果としてそれはカラフルとしか言いようがない、という点にとても興味を持っています。例えば彼が2012年3月~10月までの約半年間働いていたチリでのプロジェクト。設計事務所ELEMENTALが手掛けたソーシャル・ハウジングは、少ない予算で出来るだけ広く豊かな空間をつくるため、しっかりした躯体を半分だけつくり、後は住民たちがセルフビルドその隙間を埋めて行くというものです。

トタンやベニヤ板、暖色×寒色…。好き勝手にやっているようで、やはりここにも『ある秩序』を読み取ることができます。良い意味での適当さ・ラフさが連続性にもなっており、この地域ならではの『景色』になっていると感じました。

自身はそれでも、この『カラフルさが引き立つ状況』を整えることに意識が向きます。人工物のケミカルな素材や色から逃れ、自然の息づかいのあるものに囲まれて過ごしたくなる時もあり、何か一つのコト・モノが圧倒的になればそこから逃れたくなるのは世の常でもあります。

計算しつくされた調和、時間にしかつくることができない多様さ。共に魅力があります。そして時には静寂や、つい先月のように真っ白な雪に覆われた景色に心を奪われたりもします。
そのどれもが私達の暮らしに欠くことのできない『日常の風景』なのかもしれません。

いろいろないろがある、ということがとてつもない強度になることもあります。
カラフルな社会の構築をめざす建築家のこれから。幸運なことに、何度か彼らの論説や活動に触れる機会があります。その評価は様々であることと推測できますし(何せ若い、、、)、恐らく(間違いなく)当人たちも相当に手探りをしながら、都度挑戦とブラッシュアップを繰り返している最中なのだと思います。

私はただひたすら、自身がはじめて山道さんと話をしたときに感じた『カラフルさは豊かな景色となり得る』ことの可能性を信じて、色の見え方を整えたりここは色の出番ではない、といった判断に拘り続けたいと考えるようになりました。

作用と反作用。私がカラフルと言い出すとちょっととんでもないことになりそうですが、若い建築家達の活動が映える『地』を整えることができたら。
そういう色の使い方や意味も必ずある、と思っています。

2014年3月17日月曜日

建築・土木設計を学ぶ学生のための色彩学⑨-10YR(じゅうワイアール)はどこにある?

『とりあえず』と付けたタイトルが良かったのか…、前の『とりえあえず10YR(じゅうワイアール)で』は沢山の方にご覧いただけたようです。

気をよくして…ということではなく、では身近なツールで10YR系の色をどのように選び・指定に使用すればいいか、をご紹介しておきます。
これは以前から事務所のスタッフ達ともやってみよう、と話あっていたことなのですが、JIS(日本工業規格)の標準色票日本塗料工業会発行の標準色見本帳を比較し、見本帳の色構成を視覚化してみました。

上段はJIS標準色票、下段は日本塗料工業会が発行する標準色見本帳にある10YR系の色。
JISで採用されている『マンセル表色系』というのは、色を表記・記録するための体系の一つです。色彩の規格、として活用されています。

日本塗料工業会の色見本帳というのは、恐らく日本の建築・土木設計界で最も汎用性が高く、広く活用されているツールである、ということができます。『建築物・構造物・設備機器・景観設備・インテリアなどの塗装によく使われる色』が抜粋され、一冊の見本帳にまとまっています。

全色相の明度・彩度が網羅できれば一番良いのですが、見本帳としての汎用性が低くなってしまう(価格や使い勝手の問題)ため、632色(2013年度・G版)に集約されています。

上下を比べてみると、JIS規格には表記の無い明度6.5や7.5の低彩度色(2以下)が充実していること、彩度4や5が無く、5以下の中・低明度色が少ないこと等がわかります。これは中高明度・低彩度色が建築や土木・インテリアの基本色として頻度が高いことに由来しており、塗料においては0.5刻みで微妙な差違が網羅できるようになっています。

これは使用頻度もさることながら、塗料の調合を前提とした場合、再現がしにくい、あるいは退色しやすい色であるという顔料の特性も考慮されています。低明度色や高彩度色の下部には記号があり、『エマルジョン系では色がでにくい色』『エマルジョン系およびそれ以外の塗料でも、種類によっては色が出にくい色』等の注意書きがあります。これは色相10YRに限らず、その他の色相でもそうした傾向があります。

汎用性が高い色を使うという行為に対し、建築家としては『周囲と同じ・近いなんてあり得ない』と思う方も多いことでしょう。10YRに関しては『とりあえず』と申し上げておりますので、異論のある方はどうぞ我が道をお進み下さい(…しつこいw)。

本項はあくまで『色を使わなくてはならない場合』『周辺と調和の図りやすい色とは何なのか?』とお困りの場合、役に立てばと思ってまとめているものです。
単体としての色相調和を構成すること、そして自然素材や樹木の緑・四季の変化を阻害しない色群として、10YRは『とりあえず』使ってみて損はない色相です。
是非一度、お試しあれ。


市販の色見本帳に関してのあれこれ・参考:見本帳にない色をどうすればいいのか問題
参考:色見本帳の選び方

2014年3月10日月曜日

建築・土木設計を学ぶ学生のための色彩学⑧-とりあえず10YR(じゅうワイアール)で。

環境色彩のこと、あれこれ書き連ねておりますが、『結局のところ、何色にすればいいのか?』と聞かれることも多くあります。また、なぜその色なのか・その色でなければならないのか…。

計画に携わる自身は、ひとつひとつに選定の論理があります。行けるところまでは理詰めで、というのが師匠の口癖です。

周辺の基調となっている色相、慣れ親しみのある寛容色、自然の緑が映える色、形態や規模との関係性、他のマテリアルとの相性…。選ぶというよりも様々な事象をフィルターのように積み重ねて行き、抽出して残ったものを決定色として使っているという意識もあります。

自身が色を選ぶのではなく、環境や状況・対象物が色を決めるのです。

そうした経験から『で、何色にすれば良いのか?』という問いに対しては、かなり自信をもって『とりあえず(色相)10YR(じゅうワイアール)で。』と言うことができます。

※以下、『とりあえずで色決めているのか』とか『もっと色は沢山あるだろう』とか『色じゃなく素材だ』…等とお考えの方は、読まなくて良いです。どうぞ我が道をお進み下さいw

とりあえず、とここで敢えて言うのは、日本の各地で色彩調査を行ってきた経験や建材が持っている色彩の傾向、時代の変化があっても尚、建築の外装色には中心色が存在すること、山間部や郊外に限らず、私達の暮らしにとって自然の緑の存在が景色に与えている影響が大きいこと…等々を検証した結果であり、きちんとした裏付けがあります。

それを信じて頂けるのであれば、『とりあえず』10YR系でまとめてみると、『一つの建築・工作物としての調和感を形成しやすく』、『周辺環境との調和を図りやすい』ということを体験の上、ご納得いただけるのではないかと思います。アレンジはそこから、で良いのではないでしょうか。

先週実施した北新宿の住宅街での調査結果。基調色の中心は10YR。
歴史的な文脈が無いと思われる地域でも、基調色には傾向があります。
10YRというのは色相(色合い)を表しています。YRは(イエローレッド)、マンセル色相環の中でもっとも赤みの少ない、時計周りにずれると隣はY(イエロー)になり、反時計周りにずれると赤みの強いYR(イエローレッド)系になる、という色相です。

10YRという色相はまた、

自然界の土や砂、石等、動かない大面積が持っている色相
・樹木の幹や製材した木材、枯れ葉等が持っている色相
・日本の伝統的な建築物(木・土壁・漆喰…)等が持っている色相
・コンクリート、アルミサッシ、ガラス…等、近代の素材と色相が近く、馴染みやすい色相

でもあります。自然界の中で『動かない色』というのは、年間を通じて変化が少なく、移り変わる草木・花の色を支える地としての役割を持っています。

これを街並みに置き換えると、建築物や舗装等は『その地に定着し大面積を持つもの』に当たりますから、自然界の動かない色が持つ色相を手本にすることは素直で理にかなったことだと考えています。

よく白や灰、黒などニュートラル(無彩色)を用いて『周辺から突出しない』とか、『違和感や圧迫感の無い』と言う設計者・建築家も多くいらっしゃいます。白については抽象化の問題もあり、むしろ混沌とした周辺から逃れるために白、という解釈もあります。

それを否定するつもりはありませんが、『白は目立たない・気配を感じさせない』というのは(色彩学的には)誤りです。昼夜を問わず視認性の高い高明度色は、白手袋・白ヘルメット・白線等に用いられることからも、『雑踏の中でもよく目立つ』色の代表であることがわかります。

明度(明るさ)・彩度(鮮やかさ)の選定については、周辺の環境(都市部なのか、緑が多い地域なのか)や規模・用途などとの関係で吟味する必要があります(…それくらいは頑張って考えて下さい)。

街並みの連続性やまとまり、を考える時。一律に揃っていることが重要なのではなく、『何となく感じられる傾向』とか『全体をつなぐ骨格』が大切なのだと考えています。かつての日本の街並みにおいてはそのまとまりは『自然素材』が担っていました。様々な建材が混在する近代では、『基調色における10YRという色相』がその代役になる、と考えています。

もちろん、面的な開発を行う場合等はもっと積極的に多色相を推奨したり、ガラスや金属等の建材を多用することによりまとまりをつくる、等の方法もあります。

ただ、『(塗装を前提とした場合で)…何色を使えば良いのかさっぱりわからない』という場合、どうかこの『とりあえず10YRで』という呪文(?)を思い出してみて下さい。一つの色相の中にある濃淡・強弱は、既に一つの軸を持っています。一つの色相の中であれば、何色使っても調和が崩れることはありません(これ本当!)。

…騙されたと思って、お試しあれ。

おまけ:ブルーシートをYRにすると…。→こちら

2014年2月28日金曜日

建築・土木設計を学ぶ学生のための色彩学⑦-表色系・マンセル値とは?

曲がりなりにも20数年、環境色彩デザインで生計を立てている以上、専門家(=難しいことをやっている人)として様々な見方をされるようになりました。
実際の意味を正しく理解すること、分野が異なればそう簡単ではありません。自身はそう考えていなくても全く異なる見方をされたり、逆にすっと意図が伝わったり。それぞれ毎回、発見と面白みがあります。

※ちょっと長くなってしまったので、以下何を書いているかというと

①色を測る意味
②色は条件によって見え方が異なるから数値化には意味がない
③マンセル値で色指定できないのに測る意味があるのか

という、よく聞かれたり言われたりすることについてまとめたものです。以下、ご興味のあります方はぜひ。そして最後に3点のまとめを書きましたので、面倒な方はすっ飛ばして頂いても結構です(笑。

2013年ジャカルタにて。どこへ行っても、まちを知るためにはまず測色です。
①色を測る意味
先日ある学生に『また色測りに行くんですか?』と言われ、あれ?色を測る人という認識があるのだなあと思いました。色を測ることは目的ではなく手段にすぎませんが、測った数値がどのように活用されているかということがあまりよく伝わっていないのかもしれません。

対象の色の数値そのものにはほとんど意味はありません。『黄味よりの赤で、明るさはやや暗めで、冴えのある色』。一つのマンセル値から読み取れるのは、その色が持っている特性を3つの属性(色相・明度・彩度)に置き換えた情報です。

でもその数値を比較する際、あるいは数値が集積すればするほど、豊富な情報の中から様々な傾向を読み取ることができます。色相の中心、明度の分布の傾向、彩度の上限や下限。そうした情報を把握することで、地域の傾向や部位ごとの特徴が明確になり、周辺環境との対比の程度・強弱をコントロールすることが『初めて』可能になると考えています。

②色は条件によって見え方が異なるから数値化には意味がない
『天候や湿度や極端な話、男女によっても色の見え方は違うから数値は当てにならない。』
これもよく言われることです。耳にタコが…出来ていませんが。前半の部分は間違いではありません。物質は距離によっても見え方が変わりますから、同じ色でも近接してみる時とビルの屋上などからみる時は当然『色の見え方』は異なります。

色の見え方(感じ方)が異なるだけでそれは『モノ自体の色』とは別の話です。それはモノの大きさ(長さ)と同じで、近くで見れば大きく(長く)見えるし、離れれば小さく(短く)見えることに近いと思います。モノの大きさを測る時も対象物に定規をあて、数値を読み取りますよね?それと全く同じことです。

モノの大きさや長さもそれ自体に意味がある訳ではなく、ある場や空間においての『適切さ』を見極めるための基準、あるいは全体を把握するための視点の一つなのだと思います。適切さというのは必ずしも『あっている』ことが正しいのではなく、現況や設定された環境・空間に対しモノの寸法というのは『どのようなあり方で成り立たせるか』を決定づける要素なのではないのでしょうか。

③マンセル値で色指定できないのに測る意味があるのか
ああこれはさすがにややこしい…。例えばテーブルの大きさであれば『W1800×D800×H720』というように寸法を書き込めば(実際にはもっと細かな指示が必要ですが)全体像は正確に伝わります。ところが例えば日本塗料工業会の色見本帳にはマンセル値(=大きさでいうと寸法にあたる)で発注をしないようにという注意書きがあります。

色の比較・選定・検証・指示・管理等にマンセル表色系という『色を表すための体系』は有用だが、『塗料等の指定(発注)』には不向き、という矛盾。でもそれも色の特性を理解していれば、当然のことだと思えます。なぜマンセル値を指定に使うのはNGかというと、見本帳等の印刷精度やロットによる差違、艶の有無などによる見え方の差違等、ものさし自体の再現にどうしても誤差が生じるため、あくまで『調合を指示する』ために記号(日塗工でいうとG〇〇∸〇〇B等)を用い、最後は現物で確認するという方法が多く取られています。

例えば色合わせの精度を高く要求しない場合であれば、マンセル値での発注でも良いのでは、と思います。例えば社内で色の調整の話をする際、スタッフ間での会話は大体マンセル表色系を基本にしていて、『彩度0.5くらい下げて』とか『明度差は2.0以上離して』等という数値で進めて行きます。もちろん最終決定は現物の見本で行いますが、方向性や案が決定するまでは印刷紙面や色見本(最近ではデータのやり取りで行けるところまで進める場合も)で詰めて行きます。

また、数値と実際の見え方がどのような印象や効果を体験として積み上げて行けば、例えばクライアントに対して事例を提示したりしながら『根拠のある提案』をすることが可能になります。なぜこの色なのかという理由をきちんと示すことができるのです。

デザイナーの中に写真や生地の見本等を用いて色の指示をする方も多くいます。市販の見本帳では足りない・良い色が無い、ともよく言われることです。そういうこだわりはとても大事なことだと思いますし、そういう時間と手間が必要な場面もあると思いますが、『建築・土木設計を学ぶ学生のための色彩学』では、多くの人が関わる設計の現場において『いかに正確に・スムーズに』意図を伝達・共有できるかということがとても重要ですので、その視点に基づいて書いていることをご理解下さい。

つまり『表色系』はシステムなので、その構造を理解していれば『表記や伝達がしやすく』なります(印刷には印刷に・CGにはCGにふさわしい『表色系=カラーモデル』があります)。同様に『色の再現』にも様々な方法がありますが、これには物理的な要因が大きく作用します。例えば塗料と印刷では色の再現方法が異なりますから目的(対象)にあった『再現の方法』を使い分けることが必要になります。


【まとめ】
色を測る意味
→単体が持っている色の特性及び現状把握。複数の測色値は比較検証のためのデータとして活用。

②色は条件によって見え方が異なるから数値化には意味がない
→『条件によって変化するモノの色の見え方』の話と『モノ自体の色(物体色)』ということを分けて考える。物体の色を選ぶ際に『わかりやすい表記や伝達』の心得は必要。

※ちなみに色が主観的にどのような状態で捉えられているかについてはドイツの心理学者デイビット・カッツが『色の現象的分類』として9つに分類し定義していて、この9つの分類が一番わかり易いと思います(様々な研究によりもっと細かく分類もされている)。

マンセル値で色指定できないのに測る意味があるのか
→表記や伝達に不可欠な表色系を使うことは、配色のバランスや効果を検証するために必要。対比の程度や視覚的な効果を提案・説明する際の『論理』になり得る。
色の再現は次のフェーズとして捉え、対象に適した指示・調整の仕方を体得する。


…となると、次回は指示や調整の仕方となりますね。実社会に出て学ぶことだとも思いますが、それを知れば表色系の重要さがより強く伝わるのでは、とも考えています。

2014年2月18日火曜日

測色019-浅草寺・雷門の色 赤と朱について

はじめにお知らせから。
2014年2月22日(土)、浅草文化観光センターにて『隅田川の景観・歴史的橋梁の文化的価値を考える』というフォーラムが開催されます。

案内はこちら

昨年から活動をはじめたGS素材色彩分科会では、このフォーラムの資料として隅田川にかかる14の橋梁を測色し、そのマンセル値データをまとめたリーフレットを作成しました。当日会場でお配りする他、会後には分科会のFacebookページからダウンロードできるようにしますので、どうぞお楽しみに。

このリサーチのついでに、雷門の色を測ってきました。
10R 4.0/8.0程度でした。

艶やかな雷門。現在はコンクリート製とのこと。
JIS標準色見本帳の色相の配列では10R(レッド)の次が2.5YR(イエローレッド)になります。間をとっていくと、10Rの次は0.1YRですから、10R系の色相は最も黄み寄りの赤、ということになります。彩度は8程度、R(レッド)系の最高彩度(純色)は14ですから、およそ1/2程度彩度が低い色。でも、十分人目を引くとても印象的な色です。


派手な色ではあるけれど、どことなく落ち着きもある色です。例えば赤系の中心色、5Rと比べてみると10R系の色相は(特に彩度が低いと)あまり赤くは見えません。真赤と比べるとかなり黄味を帯びて見えます。

朱を調べてみると、日本の伝統色等にも記載があります。原料は辰砂や朱砂という硫化水銀からなる鉱物で、元は赤褐色または透明感のある深紅色の結晶として産出される、とあります(wikipediaより)。

朱は黄味を帯びた赤と表わされますが、真朱という日本の伝統色はR系で表記されています。原料自体は赤なのに、朱になると黄みを帯びる。そのままの色を何かに定着させることが難しかったのかもしれません。古く中国では古墳の内側や石棺の彩色に使われたそうですから、そうした下地の色とも相まって、黄みを帯びた色としての認識が根付いていったのでは…(と、これは想像です)。

辰砂は日本では弥生時代から産出が知られているそうですが、現代で朱と言えばやはり漆や朱肉等に見られる、黄みを帯びた赤の方が親しみやすく、慣れ親しんだ『和のあか』のではないかと思います。

原料の色、本来の色というのは何千年という時間の経過と共に、少しずつ『扱いやすい』あるいは『何かに置き換えられた』色に変化して行くのかも知れません。

吾妻橋の赤は5R系でした。色々な時代性がミックスした不思議な景色です。
浅草寺の賑わいから離れて、隅田川の橋梁を下流に向かって測りながら歩きました。橋の色をひとつずつ測るという試みは、思った以上に様々な発見があり、マテリアル(鋼材)や規模・構造と色相の相性等についてはまた別途、考察をまとめる予定です。

朱でも赤でも、色が気にならない方にとってはどうでもいいこと…かも知れません。
でも比較をしてみると、朱の方が自然素材(木や石、土等)や樹木の緑が持つ色相と近いので、なじみが良い、ということが発見でき、そうした検証を積み重ねて行けば、その場にふさわしい『あか』を導き出すことができると考えています。

古い木製の鳥居の場合、下地が塗料(あるいは染料)を吸収する、あるいは経年変化が起き易い等の理由により、赤みが抜ける率(黄みに寄る)が高いのではないかと推測します。
これからしばらくの間、色々な鳥居や格子、漆などの色を測ってみるつもりです。






2014年2月2日日曜日

手摺に描かれたイチゴ

手摺(縦方向に部材が連続するタイプ)に絵が描いてあって、正面からはよくわからないけれど、斜めから見ると動物や花、果物などが絵がれている『アレ』。若い方でも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。

1月は大学の講義・演習の他、いくつかの研修(講師として)が重なり、その中で改めて『公共に出現するアレ』の色やあり方について考える機会を得ました。その時に出てきた議論を元に、考えてみたことをまとめてみたいと思います。

先月中旬、研修の企画担当の方から数枚の写真が送られて来ました。動物や果物が描かれた『アレ』の他、真っ赤な歩道橋や色鮮やかな舗装など、行政の方が普段から頭を悩ませているであろう、恐らく『よくない景観』として認識されているものだと感じました。資料にも『色が派手すぎる』、『目立ちすぎている』、『違和感がある』…等のコメントがずらり、良好な景観づくりに携わる方であれば『気になって仕方がない』事例の数々なのだと思います。

その研修は公共施設の管理の他、各種発注業務に携わられる方々が参加されるということでしたが、年齢や経験は様々のようでしたので、『いきなり評価を示さず、まずこれについてどう思うかを聞いてみることから始めませんか』という提案をしました。

そうした課題を単に価値観の善悪で片付けるのではなく、より良いあり方についての議論が出来れば、と思ったのです。

あるグループが地域の特産であるイチゴが描かれた手摺について、議論を行いました。手摺のベースは白、周囲には田畑や山並みが拡がる自然景観の中を通る二車線道路、その脇に歩道があり、歩道と畑の間に白地にイチゴが描かれた手摺があります。

そこで出た主な意見は以下の通り。

・地域の特産が表示されているのは悪いことではない。
・イチゴ柄をアリとするならば、白は赤が映えていて良い。
・でも周囲を見たときは白が目立ちすぎているかも知れない、もう少し落ち着いた白にしてはどうか。
・公共工事の場合、今の時代はイチゴ柄を描く理由が見当たらない。そのデザインを評価するのも難しい、無くてもよいのでは。
・無地の場合、景観配慮色(※)のどれが望ましいか。あまり暗いと手摺としての機能(安全性)が低下する。

(景観配慮色については→『景観に配慮した防護柵等の整備ガイドライン』をご参照下さい。)

…等々、現状をヨシとする方の意見から、もし絵がなかったらという場合に至るまで、多くの意見がありました。最後の発表の際には、穏やかなグレーベージュかダークブラウン、という案になりましたが、ここで『地域の特産が表示されているのは良いことなのでは』という意見をどうくみ取るべきかということを考えてみました。

自身が公共空間において『鮮やかな色の望ましい姿』を考えるとき、まず自然界の色の法則に当てはめてみることを意識します。動く色・動かない色、という概念です。

自然景観の中では大地の土や岩、樹木の幹等は動かない色に当たります。草花や昆虫などが持つ鮮やかな色は動くものです。更に、動く色は地表近くの比較的面積が小さい部分に存在し、一定の期間に限られる、という法則です。命あるものが色を持っている、と言い換えることもできます。

これを人工環境に置き換えてみると、建築や土木工作物等は動かない存在となります。その法則で考えてみると、動く色をどうデザインすれば良いか、ということになるのではないでしょうか。

地域の特産であるイチゴをアピールしたい、というオーダーに対しては、

・イチゴ農家の付近でのぼり旗を使う(但し、シーズン中のみ)
・移動販売車が地域を回り(もちろんイチゴ色でも良いです)、イチゴ狩りの季節が来たことを知らせる

…等の方法がありそうです。手摺に描かれたイチゴは年中そこにあり、旬の瑞々しさや香りを伝えることは出来ません。生物は動くものに目を惹かれるという習性がありますから、風の動きや日中の人の活動の中で『色を感じてもらう』ことができれば、景観に配慮しながら、そして地域の安全性や交通の機能性を維持しながら、地域の魅力をアピールして行くことができるかもしれません。

先日の研修では『景観配慮は一つの視点に過ぎない』ということをお伝えしました。何でもぎちぎちに考え、穏やかな色にせよ・馴染ませよ、ということでは決してないと考えます。
地域にふさわしい主張の仕方を実践するにはどうしてもある程度の経験や学習が必要で、その助けになるのが『景観配慮色』であり、本当に伝えたいことや見せたい景色を見つけて育てて行くことに繋げて行けるのではないか、ということが環境色彩という分野の希望の光です。

動く色について、光のあり方と共に考える機会が増えました。

川面に映る鮮やかな橋の色、隅田川にて
昨日、隅田川にかかる橋の色を測って歩きました。日を浴びながら歩いていると汗ばむほどの良い気候でした。実に色とりどりの橋を眺めながら歩いていると、時折遊覧船に追い越され、そのたびに川面の変化に目を奪われました。

色が動いていました。

かたちを変えていく様子は生き物のようで、風による静かなゆらぎから船の通過による激しく本当に一瞬のきらめきまで、その様は見ていて飽きることがありませんでした。

ちょっと話は逸れますが。観察者が動くことによって像を結ぶ、あるいは動いているように見える…。こうした作品はキネティックアートと呼ばれ、自身がその存在を知ったのは大学在学中でした。ヤコブ・アガムというイスラエル出身のアーティストは、凹凸のある画面を使いそれぞれの方向に異なる色やパターンを配し、見る角度によって様々な絵が表れるという作品を数多く制作しています。

パリのラ・デファンス(1958年から着手された再開発)地区には氏が制作した噴水が設置され、とても色鮮やかな景色が出現しています。

(アガム作(※動画):イスラエル、火と水の泉

こうしたパブリックアートは時代と共に評価も変わって行くものだと思いますが、その存在が地域の人々に親しまれ、後世に継承すべきだと判断した際には、作家の有名無名に限らず長く残っていくものなのでしょう。

手摺に描かれた動植物も、様々な視点に配慮がなされ、適切な管理が続けられて行くのであれば、地域のシンボルとして長くその地に根付く存在となり得る可能性も十分にあり得ると思っています。誰かが道行く人を楽しませよう、地域のことをよく知ってもらうために試みたということ、間違いなく人やまちに対する配慮の一つと言えます。

景観を一つの視点のみで良し悪しを判断するのではなく、『そうなってしまった』事象に対する意図や本来の要求を読み解きながら、別のより良い方法で実現することの可能性について考えています。動かない地となる環境の整備と、動きがあり暮らしに季節感と潤いをもたらすような図の演出。随分と長く地のことばかりに執着し過ぎた反省もあり、今年からはもう少し図となる色の提案にも力を入れて行こうと思っています。

自己紹介

自分の写真
色彩計画家/環境色彩デザイン/いろでまちをつなぐ/MATECO代表/色彩の現象性/まちあるき/ART/武蔵野美術大学・静岡文化芸術大学非常勤講師/港区・山梨県・八王子市景観アドバイザー/10YRCLUB/箱好き/土のコレクション/舟越桂