2014年2月28日金曜日

建築・土木設計を学ぶ学生のための色彩学⑦-表色系・マンセル値とは?

曲がりなりにも20数年、環境色彩デザインで生計を立てている以上、専門家(=難しいことをやっている人)として様々な見方をされるようになりました。
実際の意味を正しく理解すること、分野が異なればそう簡単ではありません。自身はそう考えていなくても全く異なる見方をされたり、逆にすっと意図が伝わったり。それぞれ毎回、発見と面白みがあります。

※ちょっと長くなってしまったので、以下何を書いているかというと

①色を測る意味
②色は条件によって見え方が異なるから数値化には意味がない
③マンセル値で色指定できないのに測る意味があるのか

という、よく聞かれたり言われたりすることについてまとめたものです。以下、ご興味のあります方はぜひ。そして最後に3点のまとめを書きましたので、面倒な方はすっ飛ばして頂いても結構です(笑。

2013年ジャカルタにて。どこへ行っても、まちを知るためにはまず測色です。
①色を測る意味
先日ある学生に『また色測りに行くんですか?』と言われ、あれ?色を測る人という認識があるのだなあと思いました。色を測ることは目的ではなく手段にすぎませんが、測った数値がどのように活用されているかということがあまりよく伝わっていないのかもしれません。

対象の色の数値そのものにはほとんど意味はありません。『黄味よりの赤で、明るさはやや暗めで、冴えのある色』。一つのマンセル値から読み取れるのは、その色が持っている特性を3つの属性(色相・明度・彩度)に置き換えた情報です。

でもその数値を比較する際、あるいは数値が集積すればするほど、豊富な情報の中から様々な傾向を読み取ることができます。色相の中心、明度の分布の傾向、彩度の上限や下限。そうした情報を把握することで、地域の傾向や部位ごとの特徴が明確になり、周辺環境との対比の程度・強弱をコントロールすることが『初めて』可能になると考えています。

②色は条件によって見え方が異なるから数値化には意味がない
『天候や湿度や極端な話、男女によっても色の見え方は違うから数値は当てにならない。』
これもよく言われることです。耳にタコが…出来ていませんが。前半の部分は間違いではありません。物質は距離によっても見え方が変わりますから、同じ色でも近接してみる時とビルの屋上などからみる時は当然『色の見え方』は異なります。

色の見え方(感じ方)が異なるだけでそれは『モノ自体の色』とは別の話です。それはモノの大きさ(長さ)と同じで、近くで見れば大きく(長く)見えるし、離れれば小さく(短く)見えることに近いと思います。モノの大きさを測る時も対象物に定規をあて、数値を読み取りますよね?それと全く同じことです。

モノの大きさや長さもそれ自体に意味がある訳ではなく、ある場や空間においての『適切さ』を見極めるための基準、あるいは全体を把握するための視点の一つなのだと思います。適切さというのは必ずしも『あっている』ことが正しいのではなく、現況や設定された環境・空間に対しモノの寸法というのは『どのようなあり方で成り立たせるか』を決定づける要素なのではないのでしょうか。

③マンセル値で色指定できないのに測る意味があるのか
ああこれはさすがにややこしい…。例えばテーブルの大きさであれば『W1800×D800×H720』というように寸法を書き込めば(実際にはもっと細かな指示が必要ですが)全体像は正確に伝わります。ところが例えば日本塗料工業会の色見本帳にはマンセル値(=大きさでいうと寸法にあたる)で発注をしないようにという注意書きがあります。

色の比較・選定・検証・指示・管理等にマンセル表色系という『色を表すための体系』は有用だが、『塗料等の指定(発注)』には不向き、という矛盾。でもそれも色の特性を理解していれば、当然のことだと思えます。なぜマンセル値を指定に使うのはNGかというと、見本帳等の印刷精度やロットによる差違、艶の有無などによる見え方の差違等、ものさし自体の再現にどうしても誤差が生じるため、あくまで『調合を指示する』ために記号(日塗工でいうとG〇〇∸〇〇B等)を用い、最後は現物で確認するという方法が多く取られています。

例えば色合わせの精度を高く要求しない場合であれば、マンセル値での発注でも良いのでは、と思います。例えば社内で色の調整の話をする際、スタッフ間での会話は大体マンセル表色系を基本にしていて、『彩度0.5くらい下げて』とか『明度差は2.0以上離して』等という数値で進めて行きます。もちろん最終決定は現物の見本で行いますが、方向性や案が決定するまでは印刷紙面や色見本(最近ではデータのやり取りで行けるところまで進める場合も)で詰めて行きます。

また、数値と実際の見え方がどのような印象や効果を体験として積み上げて行けば、例えばクライアントに対して事例を提示したりしながら『根拠のある提案』をすることが可能になります。なぜこの色なのかという理由をきちんと示すことができるのです。

デザイナーの中に写真や生地の見本等を用いて色の指示をする方も多くいます。市販の見本帳では足りない・良い色が無い、ともよく言われることです。そういうこだわりはとても大事なことだと思いますし、そういう時間と手間が必要な場面もあると思いますが、『建築・土木設計を学ぶ学生のための色彩学』では、多くの人が関わる設計の現場において『いかに正確に・スムーズに』意図を伝達・共有できるかということがとても重要ですので、その視点に基づいて書いていることをご理解下さい。

つまり『表色系』はシステムなので、その構造を理解していれば『表記や伝達がしやすく』なります(印刷には印刷に・CGにはCGにふさわしい『表色系=カラーモデル』があります)。同様に『色の再現』にも様々な方法がありますが、これには物理的な要因が大きく作用します。例えば塗料と印刷では色の再現方法が異なりますから目的(対象)にあった『再現の方法』を使い分けることが必要になります。


【まとめ】
色を測る意味
→単体が持っている色の特性及び現状把握。複数の測色値は比較検証のためのデータとして活用。

②色は条件によって見え方が異なるから数値化には意味がない
→『条件によって変化するモノの色の見え方』の話と『モノ自体の色(物体色)』ということを分けて考える。物体の色を選ぶ際に『わかりやすい表記や伝達』の心得は必要。

※ちなみに色が主観的にどのような状態で捉えられているかについてはドイツの心理学者デイビット・カッツが『色の現象的分類』として9つに分類し定義していて、この9つの分類が一番わかり易いと思います(様々な研究によりもっと細かく分類もされている)。

マンセル値で色指定できないのに測る意味があるのか
→表記や伝達に不可欠な表色系を使うことは、配色のバランスや効果を検証するために必要。対比の程度や視覚的な効果を提案・説明する際の『論理』になり得る。
色の再現は次のフェーズとして捉え、対象に適した指示・調整の仕方を体得する。


…となると、次回は指示や調整の仕方となりますね。実社会に出て学ぶことだとも思いますが、それを知れば表色系の重要さがより強く伝わるのでは、とも考えています。

2014年2月18日火曜日

測色019-浅草寺・雷門の色 赤と朱について

はじめにお知らせから。
2014年2月22日(土)、浅草文化観光センターにて『隅田川の景観・歴史的橋梁の文化的価値を考える』というフォーラムが開催されます。

案内はこちら

昨年から活動をはじめたGS素材色彩分科会では、このフォーラムの資料として隅田川にかかる14の橋梁を測色し、そのマンセル値データをまとめたリーフレットを作成しました。当日会場でお配りする他、会後には分科会のFacebookページからダウンロードできるようにしますので、どうぞお楽しみに。

このリサーチのついでに、雷門の色を測ってきました。
10R 4.0/8.0程度でした。

艶やかな雷門。現在はコンクリート製とのこと。
JIS標準色見本帳の色相の配列では10R(レッド)の次が2.5YR(イエローレッド)になります。間をとっていくと、10Rの次は0.1YRですから、10R系の色相は最も黄み寄りの赤、ということになります。彩度は8程度、R(レッド)系の最高彩度(純色)は14ですから、およそ1/2程度彩度が低い色。でも、十分人目を引くとても印象的な色です。


派手な色ではあるけれど、どことなく落ち着きもある色です。例えば赤系の中心色、5Rと比べてみると10R系の色相は(特に彩度が低いと)あまり赤くは見えません。真赤と比べるとかなり黄味を帯びて見えます。

朱を調べてみると、日本の伝統色等にも記載があります。原料は辰砂や朱砂という硫化水銀からなる鉱物で、元は赤褐色または透明感のある深紅色の結晶として産出される、とあります(wikipediaより)。

朱は黄味を帯びた赤と表わされますが、真朱という日本の伝統色はR系で表記されています。原料自体は赤なのに、朱になると黄みを帯びる。そのままの色を何かに定着させることが難しかったのかもしれません。古く中国では古墳の内側や石棺の彩色に使われたそうですから、そうした下地の色とも相まって、黄みを帯びた色としての認識が根付いていったのでは…(と、これは想像です)。

辰砂は日本では弥生時代から産出が知られているそうですが、現代で朱と言えばやはり漆や朱肉等に見られる、黄みを帯びた赤の方が親しみやすく、慣れ親しんだ『和のあか』のではないかと思います。

原料の色、本来の色というのは何千年という時間の経過と共に、少しずつ『扱いやすい』あるいは『何かに置き換えられた』色に変化して行くのかも知れません。

吾妻橋の赤は5R系でした。色々な時代性がミックスした不思議な景色です。
浅草寺の賑わいから離れて、隅田川の橋梁を下流に向かって測りながら歩きました。橋の色をひとつずつ測るという試みは、思った以上に様々な発見があり、マテリアル(鋼材)や規模・構造と色相の相性等についてはまた別途、考察をまとめる予定です。

朱でも赤でも、色が気にならない方にとってはどうでもいいこと…かも知れません。
でも比較をしてみると、朱の方が自然素材(木や石、土等)や樹木の緑が持つ色相と近いので、なじみが良い、ということが発見でき、そうした検証を積み重ねて行けば、その場にふさわしい『あか』を導き出すことができると考えています。

古い木製の鳥居の場合、下地が塗料(あるいは染料)を吸収する、あるいは経年変化が起き易い等の理由により、赤みが抜ける率(黄みに寄る)が高いのではないかと推測します。
これからしばらくの間、色々な鳥居や格子、漆などの色を測ってみるつもりです。






2014年2月2日日曜日

手摺に描かれたイチゴ

手摺(縦方向に部材が連続するタイプ)に絵が描いてあって、正面からはよくわからないけれど、斜めから見ると動物や花、果物などが絵がれている『アレ』。若い方でも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。

1月は大学の講義・演習の他、いくつかの研修(講師として)が重なり、その中で改めて『公共に出現するアレ』の色やあり方について考える機会を得ました。その時に出てきた議論を元に、考えてみたことをまとめてみたいと思います。

先月中旬、研修の企画担当の方から数枚の写真が送られて来ました。動物や果物が描かれた『アレ』の他、真っ赤な歩道橋や色鮮やかな舗装など、行政の方が普段から頭を悩ませているであろう、恐らく『よくない景観』として認識されているものだと感じました。資料にも『色が派手すぎる』、『目立ちすぎている』、『違和感がある』…等のコメントがずらり、良好な景観づくりに携わる方であれば『気になって仕方がない』事例の数々なのだと思います。

その研修は公共施設の管理の他、各種発注業務に携わられる方々が参加されるということでしたが、年齢や経験は様々のようでしたので、『いきなり評価を示さず、まずこれについてどう思うかを聞いてみることから始めませんか』という提案をしました。

そうした課題を単に価値観の善悪で片付けるのではなく、より良いあり方についての議論が出来れば、と思ったのです。

あるグループが地域の特産であるイチゴが描かれた手摺について、議論を行いました。手摺のベースは白、周囲には田畑や山並みが拡がる自然景観の中を通る二車線道路、その脇に歩道があり、歩道と畑の間に白地にイチゴが描かれた手摺があります。

そこで出た主な意見は以下の通り。

・地域の特産が表示されているのは悪いことではない。
・イチゴ柄をアリとするならば、白は赤が映えていて良い。
・でも周囲を見たときは白が目立ちすぎているかも知れない、もう少し落ち着いた白にしてはどうか。
・公共工事の場合、今の時代はイチゴ柄を描く理由が見当たらない。そのデザインを評価するのも難しい、無くてもよいのでは。
・無地の場合、景観配慮色(※)のどれが望ましいか。あまり暗いと手摺としての機能(安全性)が低下する。

(景観配慮色については→『景観に配慮した防護柵等の整備ガイドライン』をご参照下さい。)

…等々、現状をヨシとする方の意見から、もし絵がなかったらという場合に至るまで、多くの意見がありました。最後の発表の際には、穏やかなグレーベージュかダークブラウン、という案になりましたが、ここで『地域の特産が表示されているのは良いことなのでは』という意見をどうくみ取るべきかということを考えてみました。

自身が公共空間において『鮮やかな色の望ましい姿』を考えるとき、まず自然界の色の法則に当てはめてみることを意識します。動く色・動かない色、という概念です。

自然景観の中では大地の土や岩、樹木の幹等は動かない色に当たります。草花や昆虫などが持つ鮮やかな色は動くものです。更に、動く色は地表近くの比較的面積が小さい部分に存在し、一定の期間に限られる、という法則です。命あるものが色を持っている、と言い換えることもできます。

これを人工環境に置き換えてみると、建築や土木工作物等は動かない存在となります。その法則で考えてみると、動く色をどうデザインすれば良いか、ということになるのではないでしょうか。

地域の特産であるイチゴをアピールしたい、というオーダーに対しては、

・イチゴ農家の付近でのぼり旗を使う(但し、シーズン中のみ)
・移動販売車が地域を回り(もちろんイチゴ色でも良いです)、イチゴ狩りの季節が来たことを知らせる

…等の方法がありそうです。手摺に描かれたイチゴは年中そこにあり、旬の瑞々しさや香りを伝えることは出来ません。生物は動くものに目を惹かれるという習性がありますから、風の動きや日中の人の活動の中で『色を感じてもらう』ことができれば、景観に配慮しながら、そして地域の安全性や交通の機能性を維持しながら、地域の魅力をアピールして行くことができるかもしれません。

先日の研修では『景観配慮は一つの視点に過ぎない』ということをお伝えしました。何でもぎちぎちに考え、穏やかな色にせよ・馴染ませよ、ということでは決してないと考えます。
地域にふさわしい主張の仕方を実践するにはどうしてもある程度の経験や学習が必要で、その助けになるのが『景観配慮色』であり、本当に伝えたいことや見せたい景色を見つけて育てて行くことに繋げて行けるのではないか、ということが環境色彩という分野の希望の光です。

動く色について、光のあり方と共に考える機会が増えました。

川面に映る鮮やかな橋の色、隅田川にて
昨日、隅田川にかかる橋の色を測って歩きました。日を浴びながら歩いていると汗ばむほどの良い気候でした。実に色とりどりの橋を眺めながら歩いていると、時折遊覧船に追い越され、そのたびに川面の変化に目を奪われました。

色が動いていました。

かたちを変えていく様子は生き物のようで、風による静かなゆらぎから船の通過による激しく本当に一瞬のきらめきまで、その様は見ていて飽きることがありませんでした。

ちょっと話は逸れますが。観察者が動くことによって像を結ぶ、あるいは動いているように見える…。こうした作品はキネティックアートと呼ばれ、自身がその存在を知ったのは大学在学中でした。ヤコブ・アガムというイスラエル出身のアーティストは、凹凸のある画面を使いそれぞれの方向に異なる色やパターンを配し、見る角度によって様々な絵が表れるという作品を数多く制作しています。

パリのラ・デファンス(1958年から着手された再開発)地区には氏が制作した噴水が設置され、とても色鮮やかな景色が出現しています。

(アガム作(※動画):イスラエル、火と水の泉

こうしたパブリックアートは時代と共に評価も変わって行くものだと思いますが、その存在が地域の人々に親しまれ、後世に継承すべきだと判断した際には、作家の有名無名に限らず長く残っていくものなのでしょう。

手摺に描かれた動植物も、様々な視点に配慮がなされ、適切な管理が続けられて行くのであれば、地域のシンボルとして長くその地に根付く存在となり得る可能性も十分にあり得ると思っています。誰かが道行く人を楽しませよう、地域のことをよく知ってもらうために試みたということ、間違いなく人やまちに対する配慮の一つと言えます。

景観を一つの視点のみで良し悪しを判断するのではなく、『そうなってしまった』事象に対する意図や本来の要求を読み解きながら、別のより良い方法で実現することの可能性について考えています。動かない地となる環境の整備と、動きがあり暮らしに季節感と潤いをもたらすような図の演出。随分と長く地のことばかりに執着し過ぎた反省もあり、今年からはもう少し図となる色の提案にも力を入れて行こうと思っています。

自己紹介

自分の写真
色彩計画家/環境色彩デザイン/いろでまちをつなぐ/MATECO代表/色彩の現象性/まちあるき/ART/武蔵野美術大学・静岡文化芸術大学非常勤講師/港区・山梨県・八王子市景観アドバイザー/10YRCLUB/箱好き/土のコレクション/舟越桂